![]() | 疑似科学と科学の哲学 伊勢田 哲治 |
道徳の教育に似非科学を用いてほしくないと主張してる人がいると仮定します。では、道徳教育に科学を用いても問題ないのでしょうか?そもそも科学では道徳を説明することは不可能だと思います。科学的思考方法によれば、道徳を説明することができるのでしょうか?菊池氏は、できないといってるように思うので、できないと一応結論付けます。
「一応結論付ける」というのがトンデモだとか言い出す頭の良いかたがおられるので、説明しておくと、いったんどちらかに結論を仮定でも良いので先に進めないと議論できないからです。実際問題できるかどうか証明が私にできるとは思えないし、かといって誰かに教えてもらったとしても本当にそれが正しいかどうかなんか判断で着ないことのほうが多いと思います。
「大麻はアルコールと同程度の危険性しかない」というのが正しいのかどうかを調べたいのですが、どうやっても分かりません。医者の間でも議論が分かれてるように思えます。肯定派が持ってくるデータは、確かにWHOのデータでそれを裏付けるデータですが、なんか怪しげです。また、ここでもトンデモだとか言われるんですが、WHOが言ってるから正しいなんて誰も保障してくれないのは、似非科学批判してる人が一番わかると思うのです。あと、よく調べるとアルコールは、実は結構依存性が高くて、合法ドラッグと読んだほうがよさそうなものだということも調べて分かったわけですが、なんかしっくりきません。
危険性という概念が、もうすでに科学じゃないと思うのです。
どうでしょうか?危険性のものさしを作ることは科学でできるのでしょうか?物差しを作ったあとで、科学的な手法で数値化することはできると思うのですが、ものさしを科学で作れない限り、科学は価値観を生み出さないと思うのです。
このお茶は科学的にみて健康にいいとかいう科学はもう似非科学と紙一重だと思います。百歩譲って、医学的に良いというのは正しいと思いますが、それってなぜそう思うのでしょうか?(自問自答)
私自身は、科学リテラシーが低いとは思わないし、たぶん普通ぐらいはあると思います。でも似非科学か科学かを分けてるのは、直感です。菊池氏が似非科学といったものはそうだと思いますけど、ただ科学的でないといってるだけで、科学者としての立場で、それ以上は言ってはいけないと思います。どこまでが科学的な検証か、自分自身の主観に当たる部分はどこなのかはっきりさせないと、混乱します。宗教は科学的でないから、宗教なんて信じてはいけないと科学者の立場で言ったら、問題あるでしょう?科学的であることと本来別問題ですので・・。
私が言いたいのは、科学が価値観を生み出さないという思想のほうが、似非科学にだまされないので実用的でないか?と言う話です。
疑似科学問題に関心がある人は当然、科学哲学をやってるんだろうけど、最初から自然科学的な話題の周辺の疑似科学にしか興味がない。だから、たとえば、尊厳死推進派の議論が歴史修正主義並みのインチキばかりで、そこに見られる思考様式も疑似科学とほとんど同じであり、これらは切り離すどころか同じ地平に置いて検討しうる問題であるにも関わらず
疑似科学って言いたくないだけちゃうんかと(モジモジ君の日記。みたいな。)
私が言いたいのは、数学的なもの(科学)+価値観(科学哲学)という風に明確に分けたほうがよいと言う考えでOK??トンデモ??
科学は価値観を生み出さないと仮定が間違ってる??
![]() | 人はなぜエセ科学に騙されるのか〈上〉 (新潮文庫) カール セーガン Carl Sagan 青木 薫 |


















